【冒険家 風間深志&俳優 風間晋之介】親子で語るバイクのルーツと向き合い方
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砂漠や山岳地帯などといった自然環境のなかを走破するモータースポーツであるラリーレイド(通称:ラリー)。なかでも「パリダカールラリー(以下、ダカールラリー) ※1」「バハ1000※2」「ファラオラリー※3」といった名だたる過酷なラリーに挑戦し、1992年にはバイクによる史上初の南極点到達など、前人未踏の地をバイクで制覇した冒険家 風間深志さん(以下、風間さん)。
昨今は「SSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)」※4の活動が注目を集めている風間さんですが、数々の冒険とそのアドベンチャーマインドは、いったいどのような境遇から生まれたのでしょうか。そしてその精神は、息子である晋之介さんにどのような影響を与えたのでしょうか。
風間さん親子に、当時を振り返りながらお話を伺いました。
※1:パリダカールラリー… 1978年、ティエリー・サビーヌ氏(フランス)によって始まった世界で一番過酷と言われるクルマとバイクのラリー。当初はパリがスタート地点で、サハラ砂漠を超えてアフリカ、セネガルの⾸都ダカールをゴールとしたルートだった。その後、開催地の政情不安等により、南米に開催地を移し、2020年からは中東・サウジアラビアが開催地で、名称もダカールラリーとなっている。
※2:バハ1000…メキシコのバハにおいて走行距離約1,000マイル(1,609km)を走破するクルマ・トラック・バイクのレース。
※3:ファラオラリー…1982年から1996年まで行われたエジプトの砂漠を走るクルマとバイクのラリー。
※4: SSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)…日の出とともに太平洋側である日本列島の東側からスタートして、日没までに日本海側である千里浜のゴールを目指すという独創的なツーリングイベント。
アドベンチャーマインドは動物たちから教わった
まずはじめに、風間さんとバイクの接点、そしてその時の想いを振り返っていただきました。
「物心ついた時から家にバイクがあって、上の兄二人もバイク乗っていたので、ごく自然な流れでバイクに興味を持った。しかし、当時バイクといえば、クリーニング屋や新聞配達、魚屋などといった働く人たちの移動・配送用という印象が強く、仕事でもないのにバイクに乗れるということが誇らしかった。初めてバイクに乗ったときに、自分の力ではなく機械(エンジン)の力で動く感覚を味わったときの感動は今でも鮮烈に覚えている。
16歳になると真っ先にバイクの免許を取り、それからはとにかくバイクに傾倒した。時期を同じくして“レース鳩”にも夢中になっていて、遠くの目的地に向かって羽ばたき、忠実に家へ戻ってくるハトに、どこか旅のロマンスのような感覚を重ねていた。
また、猟犬も飼っていて、キジバトやウサギを猟犬と共にバイクに乗って追いかけ、自分自身も人間の動きを越えるような生活をしていた。
こうした動物たちの目に映るビジョンを想像することで、自分も旅をしているような感覚を覚えながら、猟犬の脚力に負けじと私もバイクの腕を上げていった。バイクは、まるで自分をスーパーマンにしてくれるかのような夢のマシンだと思った。」
野生動物のように野山をバイクで駆っていた風間さんは、どうやら物心付いた頃から自然と対話をして、野生的なまでに卓越したバイクのスキルが身についたのですね。
登頂の達成感がアドベンチャーマインドを目覚めさせた
次に、風間さんの経歴において、いつ頃から“冒険”を意識するようになったのかについて聞いてみました。
「16歳でバイクの免許を取る前に、たまたま標高538mの山に登る機会があって、そこでとても厳しい登山を経験したことがあった。その時に自分へ課した挑戦をクリアしたことで得られた達成感、頂上で体験した清々しいほどの充足感、そこからみる景色を眺めながら冒険の境地を味わったのだと思う。
それからというもの、一刻も早くバイクに乗って視界に見える日本中の山々に登りたい衝動にかられた。山に登って次の新しい景色みたいと思った。
また、学校でも山に登ることで体力をつけたいと考え、山岳部に入部した。さらにモトクロスをするための体力作りにと奮起し、インターハイへの出場も果たした。そして、部活から帰ると、毎日のように納屋からバイクを引っ張り出してメンテナンスをしたり、タンクの色を変えたりして毎日を楽しんでいた。
そんな手塩にかけて作ったバイクで、ある時、初のモトクロスのレースに参加したことがあった。スタートで出遅れ、転倒して急所を打ち、ようやく復帰した時にはすでにレースが終了していたという苦い思い出だ。それでも全て自分なりに作ったバイクでレースに参加した経験は本当に楽しかった。」
青春時代に挑戦した登山の経験によって得られた達成感や充足感をきっかけに、アドベンチャーマインドに火がつき、冒険家としての人生が始まったということですね。
息子 晋之介さんも自然とバイクの世界へ
風間さんの三男である晋之介さんは、国際A級のモトクロスライダーを経て、現在は俳優活動をする傍らライディングウェアのブランディングや映像制作など、マルチな才能を活かして活躍している。そんな晋之介さんは、冒険家である父親を、そしてバイクをどのように見ていたのでしょうか。「生まれたときから父はバイク業界の人間だったし、3歳くらいですでに冒険家としても認識していたと思う。特に記憶に残っているのは、父に連れられて家族で滞在した北極でのこと。父が冒険活動をしている位置とは少し離れた場所に滞在していて、川でサーモンを釣ったり、海面から浮上する一角獣を見たりしていた。あの時見た雄大な景色と空は今でも脳裏に鮮明に焼き付いている。
また、自分がバイクに乗ろうと思った契機は、父がバイクに乗っていたからではなく、実は家族ぐるみで仲の良かった近所のお兄ちゃんに乗せてもらったことがきっかけだったが、そうした環境を用意してくれ、容認してくれる父をとても誇らしい存在に思っていた。」
そんな晋之介さんの話を横で聞いていた風間さんも、当時を振り返りながら次のように語ってくれました。
「父親としては、どんどんバイクに乗ってほしいと思っていた。当時、私は精力的にモータースポーツの普及を推進していたこともあり、バイクに乗りながら自然とふれあい、バイクのある暮らしが自然なことだと認識して欲しかった。けれども、強制的にバイクに乗せようという意識は一切なかった。」
晋之介さんは幼少期からバイクに跨り冒険する父を尊敬し、バイクに乗ることを受け入れ、様々な経験をさせてくれる父親の存在をとても誇りに思っていたようです。
バイクに乗るのは自然なこと、自分にとって当たり前のこと
それから一層バイクの世界にのめり込んでいったという晋之介さん。幼少期のバイク体験を転機に、その後どのようなバイクライフを歩んだのかについて聞いてみました。
「さきほど話の中で登場した近所の家族と、そして風間家でジャパンスーパークロスを観に行った時に、バイクが宙を舞う姿を初めて見てとても衝撃を受けた。その後すぐに兄や友達数人とモトクロスをやろうと盛り上がり、そこから自分のモトクロス人生がスタートした。
中学二年生の時に参加したレースで手ごたえを感じてからさらに熱中して、それからの12〜3年(14~26歳)は本当にモトクロス漬けの毎日だった。」
現在はモトクロス競技の第一線からは退いていますが、今でもバイクに乗って楽しんでいるという晋之介さん。バイクは自分の人生やライフスタイルを語る上で、あって当たり前のモノであり、切っても切り離せないモノだと語ってくれました。
さらに、バイクに対する意識が大きく変わるきっかけを与えてくれたのも、ダカールラリーだと言います。
「ダカールラリーに参戦した父を成田空港まで迎えにいったときに記者会見している姿を見て、いつか自分もダカールラリーに出場したいと幼心に思っていた。
しかし、死のリスクすらある過酷なラリーに自分ひとりで出場するのは無謀すぎるのではないかと悩んだ末、父と出場することを思いつき、後に親子ダカールラリーを目指すきっかけとなった。」
晋之介さんがモトクロス競技を始めてからも常にサポートし続けた風間さん。その側で「いつかは親子でダカールラリーに出たい」という気持ちが晋之介さんの中に沸々と湧き上がっていたのが、お話を伺ってよくわかりました。
晋之介さんはこれまであまり聞くことのなかった父(風間さん)の冒険話を興味深く聞いていました。そして風間さんもまた、息子(晋之介さん)目線で語られた当時の記憶や心境について、目を細めながら耳を傾けていたのが非常に印象的で、お互いにどこか当時の“答え合わせ”をしているようにも感じました。
風間親子の主催するツーリングイベント「SSTR」は、参加者に大きな感動を与えながら毎年の様に規模を拡大し、今年10周年を迎えます。さらに、秋に行われる記念イベントでもまた、多くのライダーが集うことでしょう。
今後もまだバイクの楽しみ方やその世界観を提案する二人の活動から目が離せません。