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日本の二輪文化を伝え、語り繋ぐ活動を行う「二輪文化を伝える会」とは? (二輪文化を伝える会)

ここ数年、バイク需要は高止まりの状況が続いており、2022年に一般社団法人 日本自動車工業会(以下、自工会)は、2018年以降バイク免許を取得する若者層の増加をはじめとした昨今のバイク人気を第12世代バイクブーム「ライフスタイルギアブーム」と位置付けました。

その背景には、バイクがコロナ禍における密を避けた移動手段として見直されたほか、同じく密を避けた趣味としてさらに人気に拍車がかかったアウトドアとの高い親和性も要因として挙げられます。

特に趣味性が高い小型二輪車(251cc〜)クラスの人気が高まっており、自工会の統計によると、小型二輪車の出荷台数は2021年が前年比58.4%増の5万8,164台、2022年は前年比23.1%増の7万1,606台と、堅調に推移しています。

さらに別の側面では、先般MOTOINFOでも報じたとおり、訪日外国人によるバイクツーリズム(インバウンド需要)の高まりも追い風となっています。

しかし、単純に業界の活況を切り取り報じるだけでは不完全と言えます。こうした国内外でバイクへの関心が高まっている今だからこそ、日本が誇るバイク文化についてもしっかりと伝えることが重要です。これによって、国内向けにはバイクの価値が見直されるほか、海外向けには日本のバイク文化を観光資源としてアピールすることで、訪日の動機づけとなるのではないでしょうか。

そこで今回は、この日本のバイク文化についてアーカイブし、後世に伝える活動をされているNPO法人 二輪文化を伝える会 松島 裕理事長(以下、松島さん)のもとを訪れ、発足の成り立ちから日本のバイク文化継承についての現状、そして今後の可能性などについてお話を伺いました。

松島 裕さんプロフィール

  • NPO法人 二輪文化を伝える会 理事長
  • NPO法人 THE GOOD TIMES 理事長

鈴鹿8耐を走った経験のある元レーサーであり、現在はWEB制作事業を自営している。
本業のWEB制作以外にも「二輪文化ラジオ」といったWEB番組運営のほか、SNSや講演会、トークショーなどを通じて、バイクの素晴らしさや歴史などを広く伝える活動も行っています。

日本バイク文化の礎を築いた多田健蔵という人物の存在

編集部(以下、編):はじめに、二輪文化を伝える会発足の動機・きっかけについて教えてください。

松島さん:2009年に某バイクメーカーOBの古谷錬太郎さんからNPO法人The Good Timesのサイト制作を請け負い、同時に会員(現在理事長を務める)にもなりました。このときの繋がりをきっかけに、二輪文化を伝える会は2012年の6月に発足しました。

その後、The Good Timesの活動にも参画するなかで、故 山本隆さんとの出会いもターニングポイントです。山本さんはモーターサイクルレースの黎明期から活躍していたMFJ殿堂ライダーであるにも関わらず、当時私は山本さんの功績についてほとんど知らなかったんです。

※The Good Times:様々な業種の企業や団体がそれぞれの資源や特性を持ち寄り、連携協働を通して助け合いネットワークの構築と地域情報の交流推進、イベント・セミナーなどの共同開催、地域産業振興推進に関する事業を行う特定非営利活動法人。会員にはバイク関連企業やそのOB/OGも多い。

編:二輪文化を伝える会が発足された2012年だと、今ほどSNSなどインターネットで情報を得たり発信したりすることが盛んではなかった時代かと思いますが、このままでは、情報がブツ切り状態で二輪文化が途絶えそうな危機感もあったということでしょうか?

松島さん:たとえば、自分のレース活動でもお世話になっていた、久保和夫さんという私自身が愛読していたバイクレースを題材とした小説『汚れた英雄(1969年,大藪春彦/著)』にも実名で登場する伝説のライダーがいるのですが、当時、久保さんの情報がインターネット上で全くヒットしませんでした。

そのせいもあるのか、若い世代への認知が低いだけではなく、現役のプロライダーたちでさえも、歴史を知る人が少ない現状に驚愕しました。

こうした危機感なども重なり、二輪文化継承の重要性を抱き、二輪文化を伝える会発足に至りました。

編:二輪文化を伝える会のWEBサイトでは、多田健蔵さんの情報も多く扱っていますよね。

松島さん:知ったきっかけは定かではありませんが、弊会の活動を続けるなかで知りました。お恥ずかしい話ですが、私自身長いことレース活動をしていたものの、多田健蔵さんという方のことを何一つ知りませんでしたし、世の中にも多田さんの話が一向に伝わっていなかったんです。イギリスのマン島TTレースに、しかも戦前に出場している、日本のバイク界にとってはとんでもなく偉人なのに。

おそらく『汚れた英雄』が発売された1969年には、すでにだいぶ忘れ去られていたと思います。もしも著者である大藪春彦さんが多田健蔵さんのことを知っていたら、小説で書かないわけがないですから。
なぜ、この人のことが語り継がれていないのか。なぜ、歴史に埋もれる羽目になったのか。そんなことを思いながら、兎にも角にも、たくさん情報を収集しながら語り伝えていこうと思うようになりました。

メーカーにできないことをやる、それが我々の使命

編:実際に、二輪文化を伝える会の主な活動内容とはどのようなものでしょうか?

松島さん:ここ10年は、歴史資料の収集と保存、そしてオンライン上での公開を活動のメインとしていたのですが、NPO法人になったことをきっかけに、これからの10年はイベントなどに出展して、語り継いでいく機会も増やしていこうと考えています。

イベント出展時に展示していたパネル

松島さん:例えば、こういったパネルを展示し、イベント会場を行き交う来場者を呼び止め、人物当てクイズなどを行いながら、一人でも多くの方に日本の二輪文化における歴史に興味を持っていただこうと努めています。

ここに掲載している国内4大バイクメーカー(カワサキ、スズキ、ホンダ、ヤマハ)の創業者であっても「わからない」「知らない」と答える方が多いなかで、メーカーとの関わりも薄い多田健蔵さんは、もっともっと認知度が低いわけですよね。

ホンダがマン島TTレースに出場するおよそ30年も前に多田さんは出場しており、ホンダがマン島TTレースに初出場する際も、多田さんは本田宗一郎さんと並んで出国時に見送りへ行っていますが、ホンダの歴史上には登場していません。それだけ人物史は難しいのです。

メーカー契約ライダーも移籍してしまえば、移籍前のメーカーは過去に在籍していたライダーの情報について扱いづらくなってしまいますが、それは仕方のないことです。ですので、こうしたメーカーでは補いきれない数珠繋ぎの情報を二輪文化というかたちで守り伝えていこうと。それが弊会の使命です。

編:NPO法人になって何か活動における変化はありましたか?

松島さん:NPO法人になって、二輪文化を伝える活動だけではなく、資料収集や調査においても、単純にすごく話がしやすくなりましたね。

また、NPO法人になるためにファンドレイジング資格についても学び取るなかで、弊会の活動は、まさに博物館の活動と似ていることに気づきました。

博物館もいわゆる非営利組織ですが、博物館の定義は文化・歴史の調査と研究・考察、教育と普及とされています。弊会でも、二輪文化の歴史的な資料や情報を収集・調査し、インターネットやオフラインで広く伝えていきたいという考えが根底にあります。

つまり、コレクターによる陳列型の展示だけでは、二輪文化の魅力については伝えきれません。そのため、我々は昨今の博物館における主流の展示手法である、“もので語る展示=文化的なストーリーも含めて見せる”に加え、対面で話をして伝えることで、二輪文化への興味喚起が図れるのではないかと考えています。

こうしたことはインターネットだけでは補いきれないので、今後もしっかりとイベントなどに出展する活動を増やしていこうと思っています。

※民間非営利団体が、活動のための資金を個人、法人、政府などから集める行為の総称

編:ちなみに、現在、日本における二輪文化の歴史は何割程度収集できているのでしょうか?

松島さん:実際のところ、まだ一割もいってないですね(笑) 。もう全てを補完するのは不可能だと思います。

ひとりの偉人の生涯を追っていくだけでも大変な労力がかかるのに、そこに何百人・何千人の歴史や想いが交錯するため、まだまだ補いきれていません。

編:では、二輪文化における一つの側面として、車種に関する年表や、産業として販売台数や免許取得者数などの推移についても今後補完される予定はありますか?

松島さん:さまざまな切り口の年表を作りたいと思っているものの、主に車両にまつわる歴史や販売台数、免許取得者数などについては、バイクメーカーさんがしっかりと記載してくれているので、弊会ではアーカイブする予定はありません。しかし、今の4大バイクメーカーになる以前のモーターサイクル黎明期に存在した数々のバイクメーカーについては、掘り起こしアーカイブするようにしています。時代で区切ると、おおよそ1980年代=昭和までとしています。

私がレーサーとしてバイクに傾倒しはじめたのが1981年で、それ以降は自分自身でも記憶していますので、それ以前のことについて、当時を知る方々からの一次情報を中心に歴史を補完しながら、社会の流れや生活、文化と照らし合わせて考察しています。

編:一方で、二輪文化を語るうえで暴走族やカミナリ族といった悪しき歴史もあると思いますが、そこについて触れる可能性はありますか?

松島さん:これは難しい話ですが、日本の二輪文化をまとめるうえで避けては通れない歴史ですし、規制や法改正の流れを解説する際にも、必要最低限の解説はあると思います。しかし、ことさらそこをクローズアップすることもなければ、過度に肯定化することもありません。あくまでも事実ベースとして捉えるのみにとどめています。

編:二輪文化を伝える会のウェブサイトでは、「今日は何の日?」というコンテンツがありますが、どういった意図で作成されたのでしょうか?

松島さん:「今日は何の日?」は、弊会のウェブサイトやSNSで定期的に配信しており、二輪文化における重要な出来事や、偉人の誕生日・命日などを顔写真と共に掲載しています。これによって、最低でも年間2回は、二輪文化における偉人の情報がSNS上に流れる、つまり思い出してくれるきっかけになるわけです。

去年も同じ情報を見たよと言われるかもしれませんが、例えば、人から1回聞いただけの話は10年も過ぎれば忘れてしまいますが、100回聞かされた話は、ずっと頭に残るんですよね。ですので、何度も同じ話をするのも重要なことだと考えています。

日本の二輪文化はインバウンド需要増のポテンシャルを秘める

編:現在、海外からの問い合わせなどはありますか?また、海外向けの情報発信は考えていますか?

松島さん:現在、SNSなどを通じて海外からの問い合わせも僅かながらあります。特に多田さんに関する問い合わせが多いです。

そのため、2期目の課題として、ウェブサイトを中心に海外向けの情報発信も考えていますので、もしも資料を翻訳していただける有志の方がいらっしゃれば、ぜひご協力いただきたいと思っています。また、海外との交流を図ることによって、海外での文化的な情報の整理と発信・伝承方法を参考にしたいとも考えています。

編:今後、日本の主力産業である二輪産業の歴史やそれにまつわる人物を掘り下げ、アーカイブし、国内はもとより海外へもアプローチすることで、観光立国の材料として非常に価値のある資源になると思いますが、この点についてどのような考えをお持ちでしょうか?

松島さん:海外でも日本バイクメーカーのファンは非常に多いので、可能性は大いにあると思います。
例えば、各博物館、創業地、発祥の地、遺構跡地などを巡るバイクツーリズム(聖地巡礼)など。これは、東京オリンピックの誘致が決定した2013年あたりから思案していました。

というのも、2020年に東京オリンピックが開催されれば大勢の外国人が日本に観光へ訪れるため、その時にはまだ現存した旧多摩川スピードウェイ跡地の存在をアピールしようと活動していました。ちなみに多摩川スピードウェイは、本田宗一郎さんも多田健蔵さんも走った、日本初の常設サーキットとして歴史的な場所だったんです。

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画像提供:本人「多摩川スピードウェイの観客席跡」(2021.7撮影)

それが、パンデミックによってオリンピックは無観客開催となり、挙げ句の果てには翌年の2021年に、我々の願いも虚しく取り壊しとなってしまいましたが、一方で良い教訓にもなりました。

この旧多摩川スピードウェイ跡地に残るコンクリート造の観客席跡は、国の築堤工事の一環で取り壊されることになってしまいましたが、地元住民にもっと歴史的な遺産であることが認知されていれば、保存活動としてはもう少し違う結果になったのかもしれません。

活動を通して、何かを成し遂げたからそれがゴールというわけではなく、歴史を伝え続け継承すること以外に道はないと思いました。

※多摩川スピードウェイ:神奈川県川崎市中原区の多摩川河川敷に存在した1936年開業の日本およびアジア初の常設サーキット。2021年まではコンクリート造のメインスタンドが現存した。川崎市議会で取り上げられたほか、川崎市新多摩川プラン(https://www.city.kawasaki.jp/530/cmsfiles/contents/0000075/75608/honbun_4_c.pdf)にも取り入れられたが、あえなく同年11月に大半が取り壊された。現在では、新堤防にスタンドの一部と記念プレートを切り出したものが移設されている。

画像提供:本人「浅間高原レース発祥の地碑」

編:ほんの一例に過ぎず、日本全国にはまだまだたくさんの二輪文化における遺産があるわけですね。

松島さん:浅間火山レースの碑もそうですね。

弊会では、そうした歴史的な遺産やバイクに関わる施設をすべて包括して、“エコミュージアム構想”というものも掲げており、日本全体が日本の二輪文化におけるバイクミュージアムという打ち出し方ができればと考えています。

画像提供:本人「本田技研発祥の地碑」

編:日本の二輪車産業における偉人においても同様ですね。

松島さん:本田宗一郎さんの生誕地での伝承活動はご存知の方も多いと思います。現スズキ株式会社の創業者である鈴木道雄さんの出身校である浜松市立芳川小学校でも、鈴木さんの功績が記した年表などの展示物があり、在校生徒たちに卒業生の偉業を伝えているそうですが、非常に重要なことだと思います。

これは特定の地域に限った話ですが、日本全体で見れば日本の二輪車産業としての歴史、そしてそれに関わった人たち、こうした文化を伝えていくことが、バイク愛好家に限らず日本人のアイデンティティとしても意義のあるものだと考えています。

日本人が誇るべきものとして着物や刀、華道、茶道などもありますが、100年後には、そのなかの一つにバイクというものが加わってもよいのではないかと思います。

編:こうして二輪文化についてのお話を伺っていると、そこに人の物語や当時の生活環境、価値観などが見えてきますね。

松島さん:そこがまた面白いところなんです。

アカデミックに突き詰めて考えれば、“二輪文化人類学”や“二輪民俗学”のようなジャンルがあってもいいとさえ思います。ぜひ、どこかの学術研究機関で確立してほしいものです(笑)。

二輪文化を伝えること:それは授業ではなくエンターテイメント

編:二輪文化を伝える会の将来展望はありますか?

松島さん:弊会では、10年ごとに期を区切った30年計画を掲げています。

第1期の10年は「人と繋がり情報を収集する(知る)」でした。そして、現在の第2期では「伝えること(広がり)」としています。最後の第3期では「次世代への継承」とし、二輪文化を世に広めるための話し方や各種資料展示などの体系化を図り、語り手の育成もしていきたいと考えています。どこまで実現できるかどうかは未知数ですが、できる限り挑戦していきたいです。

この活動自体は、学会や学術論文などといったお堅い方向性ではありません。博物館の活動を見習って、基本的には一般の人向けにわかりやすく興味を引くよう、アカデミックな要素を踏まえたうえでのエンターテイメント性に心がけています。

編:二輪文化を伝える会におけるゴールイメージなどはありますか?

松島さん:二輪文化を伝え、語り繋いで行ってもらうことが目的ですが、仮にそうした流れが作れたとしても、ゴールではなくきっかけに過ぎません。日本史にゴールがないのと同様に、日本の誇る二輪文化もまた、脈々と継承していってほしいと願うばかりです。

もしかしたら、バイクに乗っているすべての人が多田健蔵さんのことを知っている、これが一つのゴールなのかもしれません。

編:バイクへの興味・関心の有無にかかわらず、二輪文化を伝えるうえで心がけていることはありますか?

松島さん:イベントやトークショーなどでは、車両スペックやメカニズム、テクニックの話をあえてしないよう心がけています。理由としては、二輪文化について見聞きしてくれた人が、さらに知人・友人、同僚など第三者へ情報を伝えやすくするためです。

プロレスファンのあいだで「マニアがジャンルを潰す」という排他的志向を揶揄した言葉がありますが、それはバイクの世界にも当てはまります。そのため、二輪文化を伝える際も玄人好みの論調ではなく、いい塩梅の距離感で無関心層にも受け入れてもらえるように細心の注意を払っています。

編:確かにその通りですね。

松島さん:弊会では「バイクに乗らなくてもバイクが好きという人を増やしたい」をスローガンとしています。これは、全国オートバイ協同組合連合会(略称:AJ)の吉田純一元会長のおっしゃられていた「バイクの味方を増やしたい。そうすれば規制や不公平感の是正に繋がるはず」という言葉に近い意味合いです。

日本でバイクに乗っている人は、全人口からすると数パーセントに過ぎません。そのため、バイクには乗らないけれど、バイクの味方になってくれる人を増やしていかないと、どうしても事故や迷惑行為といったネガティブな情報ばかりが悪目立ちしてしまいます。

日本の誇る二輪文化というポジティブな情報によって、少しでもバイクに興味を持つ=バイクの味方を増やすことができれば、今よりもバイクの環境が良くなるのではないかと思っています。

なお、取材時に撮影した二輪文化を伝える会による展示パネルは、今回取材場所のご提供をいただいた神奈川県座間市にあるライダーズベース リバティにて無期限で展示されています。
ご興味のある方は、ぜひリバティへも足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

二輪文化を伝える会

https://2rin-tsutaeru.net/

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