元MotoGPライダー中野真矢氏インタビュー「これからバイクに乗る君たちへ」
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世界的なバイクレースの最高峰であるMotoGPの解説や、バイク系テレビ番組への出演などで著名な中野真矢さん(以降、中野さん)。テレビでは万人にわかりやすい言葉を選びながらバイクの楽しさを解説してくれる優しいお兄さんという印象だが、自身もMotoGPライダーとして何度も表彰台に上がるほどの輝かしい経歴を持つ。
幼少期にポケバイ※レースでレース活動を開始し、バイクの世界舞台であるMotoGPで表彰台にまで登りつめ、現在ではライダー向けアパレルブランド展開や若手バイクレーサーの育成など、その活動は多岐にわたる。
そんなバイク業界発展のために活動を続ける中野さんの歴史を紐解きながら、これからバイクに乗る人への応援メッセージをもらうため、中野さんの事務所を訪れた。
※ポケットに入るほどの小さいバイクという意味
幼少期の内気な性格をポケバイレースが変えた
幼少期は引っ込み思案な性格だった中野少年。それを心配した両親が、たまたま近くのサーキットで当時流行っていたポケバイのレースに参加させたことからライダー人生が始まった。
バイク初体験のインパクトは相当ネガティブな印象だったらしく、怖くて帰りたいと泣いたそうだ。小学生時代はポケバイで過ごしたが、中学生になりミニバイクへステップアップ。当時のミニバイクといえば、フルカウリングをまとい、5速ミッションやフロントディスクブレーキといったように、本格的なレース用バイクをギュッとコンパクトにしたような50ccモデルが大流行しており、中野さんもそれに跨りレースの世界に傾倒していった。
その後、クルマのレースでF1が世界的なブームとなった一方、バイクレースではいわゆる”8耐(ハチタイ)”と呼ばれる「鈴鹿8時間耐久ロードレース」が80年代から90年代人気を博した。高校生だった中野さんは、当時スター選手だったワイン・ガードナーに憧れるひとりのバイクレース好きの少年だったが、レースで勝利を重ね、自身の支持者が増えるにつれて、次第にプロライダーの道へ進む意識が芽生えていった。
順風満帆なレーサー人生を送るなかで気づいた支持者の存在
幼い頃は、クルマの運転やメカニック、走行指導などを父親が担い、母親は中野さんの身を案じつつもお弁当作りで食事の面からサポートしていた。
1997年にはメーカーがサポートする体制のチーム(いわゆるファクトリーチーム)へ入り、翌年には年間チャンピオンに輝いた。1999年にフランスのチームに誘われてからは、世界を転戦するライダーとして頭角を現した。
数々のレースで優勝を重ねる中で最も印象に残るのは、バレンシア(スペイン)のレースで優勝した時のこと。日本の国旗を胸にサーキットを凱旋する姿が多くの新聞に掲載され、それまで中野さんがレース活動を続けることに決して前向きではなかった祖母が初めて「よかったね」と声を掛けてくれたことだそう。
また日本・海外問わずどこに居ても、街中で声を掛けられるようになったほか、食事を奢ってくれたり、激励の言葉をもらったりと、周りの支持者によって自分が支えられているということ強く実感したという。
引退後バイクに乗って、初めて“風”が気持ち良いと感じた
MotoGPライダーとは、最高速度が時速300キロを超えるレースマシンをコントロールし、他の追従を許さず己が真っ先にゴールすることを目指す。そのため、他のライバルライダーの存在もさることながら、突き詰めると闘う相手はいつも”風”だったと中野さんは語る。
2009年に引退した後、今までにお世話になったバイク業界へ何か恩返しをしたいと思い、まず手始めに行動したのが大型二輪免許の取得だった。久しぶりに公道を走行したとき、レーサー時代は最大の敵だと思っていた”風“がとても心地良く感じた瞬間だった。
その後も恩返しの一環として、レーシングチームでの若手ライダー育成や、欧州での生活を通して磨いたセンスを活かしてライダーズファッションブランド「56デザイン」を立ち上げ、ファッション面からもライダーのイメージアップに貢献している。
さらに、最も注力しているのがメディアを活用した情報発信とのこと。まだバイクの魅力を知らない人や、もっとバイクのことを知りたいビギナーライダーに向けて、バイクの乗り方やツーリング、バイクレースの楽しみ方などをわかりやすく伝えている。
バイクは人生に彩りを与えてくれる最高の相棒
引退後も中野さんの人気が途絶えない理由は、元MotoGPライダーとしての輝かしい経歴を持ちながらも、それを表には出さず一般のライダーと同じ目線でバイクを楽しめることだろう。
「時々、元MotoGPライダーだからプライベートでも大型バイクに乗っているの?と聞かれますが、そんなことは一切ありません。自分が乗りたいバイク、自分に合ったバイクが一番だと思っています。今までレースで速く走っていたときは見えていなかった道の景色が見えてとても楽しいです!」こう語る中野さんの言葉からも、レーサー時代のストイックさは微塵にも感じられず、私たちライダーと全く同じ目線でバイクの楽しさを発信し続ける彼の人柄が垣間見られる。
また、中野さんが考える“バイク業界へ恩返し”の根底には、もっと若い人にもバイクの楽しさを知って欲しいという気持ちがある。
インドア派だと公言する中野さんにとってバイクの存在は「自分を外の様々な世界へ導いてくれて、多くの楽しさを知る機会を与えてくれる最高の相棒」と、まるで最近免許を取得したばかりのビギナーライダーのように、目を輝かせて話す姿が特に印象的だった。
好きなときに、好きな場所へ連れて行ってくれるバイク。良いことばかりではなくリスクも当然あるが、うまく付き合うことで人生に彩りを与えてくれる最高の相棒だ。
バイク業界は、中野さんのような信念を持った人たちに支えられ、今後も発展的に楽しい世界が作り上げられていくであろう。
明日からでも、今年からでも遅くない。バイクに乗る人生を選択してみてはいかがだろうか。