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世界一過酷なダカール・ラリーで藤原慎也選手が“サムライ”と称賛された理由

かつて“パリダカ” の通称で親しまれ、現在はサウジアラビアで開催されている「ダカール・ラリー」。今年の大会は、優勝争いがわずか「2秒差」で決着するという、モータースポーツ史に残る劇的な幕切れとなりました。世界中のファンがその頂上決戦に熱狂する一方で、もうひとつの熱いドラマも注目を集めていました。

主役は、今大会唯一の日本人ライダー、藤原 慎也選手。彼はレース序盤に左鎖骨を骨折(全治6週間)しながら、医師の制止を振り切って再び砂漠へと走り出しました。なぜ彼は走ることをやめなかったのか。約8,000kmの旅路の果てに、彼が見た景色とは。世界一過酷と言われる荒野に挑んだ“サムライ”の15日間を追います。

ダカール・ラリーとは「バイク乗りのエベレスト」である

ダカール・ラリー(旧称:パリ=ダカール・ラリー)は、約2週間かけて砂漠や岩場を約8,000km走破する、世界一過酷と言われるモータースポーツです。その距離は東京―サンフランシスコ間に匹敵し、完走すること自体が至難の業。この巨大な壁に挑んだのが、今大会唯一の日本人ライダーである藤原 慎也選手(以下、藤原選手)です。

彼はオフロードバイク界で「ぶっ刺し先生」の異名を持ち、全日本トライアル選手権の最高峰IAS(国際A級スーパークラス)に名を連ねるトップライダーです。また、大阪の街中を封鎖して行う都市型トライアルレース「City Trial Japan(全日本トライアル選手権最終戦)」を主催するオーガナイザーという顔も持っています。

藤原選手が一から作り上げ主催するシティトライアルジャパン

しかし、ラリーの世界において、彼はラリー実績ゼロの“素人”に過ぎませんでした。トライアルは、岩場や急斜面で足をつかずに乗り越える“静”の技術を競う競技であり、時速160km/h近いスピードで砂漠を駆け抜けるラリーとは、求められる判断速度も身体の使い方も、全く異なる世界だからです。

「たぶんトライアルライダーがラリーに挑戦するのは、日本人初になるのではないかと思います」

そう語る彼が、あえて畑違いの過酷な世界へ飛び込んだ理由は、自身の活動テーマである「オフロードにロマンを」という言葉に集約されています。

「やっていないことをやるのが大事、違う景色が見えてくるはず。子供の頃から頭のなかにあった世界一のオフロードレース『ダカール・ラリー』のゴールを踏むという夢が、僕を突き動かしていました」

一からラリーを始めてダカール・ラリーに挑戦するには短すぎると言える3ヵ年の計画を立て、モロッコ・ラリーやアフリカエコレースなどの世界有数のラリーで急激に経験を積んできた藤原選手。トライアルでトップクラスに位置するとは言っても、特に経験値がものを言うラリーの世界では相当困難なプロジェクトだったと言えるかもしれません。しかし藤原選手はすべてをやり遂げ、日本のメーカーであるホンダのマシンで“日の丸”を背負うことを誓い、この“エベレスト”の麓に立ちました。

今回の挑戦で、藤原選手が何より大切にしていたのはSNSをフルに活用することで「リアルな今」を日本のファンに共有することでした。藤原選手は1分も惜しいダカール・ラリーの毎日のなか、1時間以上をその活動にかけていました。

「例えばエベレストに登るっていう人がいて『今から行きます』という投稿と、いきなり『登頂しました』という投稿だけでは、ワクワクしきれないと思うんですよ。でも『今日のベースキャンプ1日目はこうで、外の状況がこうで……』という映像や投稿が見られるならば、とんでもなくワクワクする。ダカールの一部始終をリアルな『今』として共有し、皆と一緒にゴールしたかったんです」

ダカールと言えば“パリダカ”、つまり「パリ=ダカール・ラリー」のことを想起する方も多いことでしょう。1980〜90年代にかけてテレビなどでも年明けのお茶の間を賑わせた話題でした。しかし、藤原選手は現代のダカールがかつての“パリダカ”とは全く別物になっていると語りました。

ホンダ CRF450RX RALLY
Team HRCのファクトリーバイク「CRF450 RALLY」で得た知見を取り入れて、市販レーサー「CRF450RX」をベースに作り直された世界50台限定のマシン

「2009年から正式名称がダカール・ラリーとなりましたが、昔のパリ=ダカール・ラリーの時代は、市販車部門で走っていたからコースも今ほど厳しくなかった。今は専用のゴリゴリのレースマシンじゃないと、そもそも走れないんです。僕の最新のマシン(ホンダ CRF450RX RALLY)でさえ登れなかった砂丘が4箇所ぐらいありました。レーサーバイクですらこなせないレベルの難易度、それが今のダカールなんです」

時速100km/hの世界で起きた「ビル3階からの落下」

レース2日目(ステージ2)、藤原選手は砂地の視界の悪さから間違えて約10mの崖を飛び越えてしまいます。

「空中で『あ、これ終わった』と確信しました。10メートル下の地面に向けて落下していく間『これはヤバイ』って冷静に思っていましたから。ジャンプしようと思っていてジャンプするのと、ジャンプしたら地面がなかったという不意打ちに遭うジャンプって、めちゃくちゃ怖いんですよ。ただ落ちるだけ、みたいな。ラリー中にも夜に目をつぶると落下の瞬間が蘇ってきて『ああ、やばい、やばい』って本当怖かったです」

このクラッシュで顔面を打ちつけてしまったことで、物が二重に見える「複視」という状態に陥りましたが、彼は残りの100km以上を走り続けました。

「両目を開けると、視界がクロスして前が見えないんです。寄り目になったみたいな状態で、距離感が全くつかめない。でも、片目をつぶればなんとか見える。だから、そこからは片目で走り切りました。あとから思い返してみても骨折してしまった鎖骨の痛みは我慢すればなんとかなるけど、目は我慢できない。それが一番辛かったですね」

医師の「ドクターストップ」と、レーサーとしての矜持

さらに悪夢は続き、ステージ5では2mの高さから叩きつけられた藤原選手は、左鎖骨を骨折します。医師は「全治6週間。おすすめしない」と宣告しました。

「ドクターには『もしもう1回クラッシュしたり、強い振動が出てきたりした時に骨が移動して、場合によっては開放骨折してとんでもないことになっちゃうよ』と言われました。でも、僕は即座に『I continue(続けます)』と言いました」

左肩の鎖骨外側が折れているのがわかるでしょうか?
救護室で処置を受ける藤原選手

痛みは相当なものだったと藤原選手は振り返ります。

「砂丘の下りが本当に嫌でした……スキーのモーグルみたいにボコボコに荒れているんです。しかも砂丘の下りって、ブレーキをかけても止まらない。流されながら、そのボコボコの衝撃を全部身体で受け止めなきゃいけない。鎖骨に響いて、ヘルメットのなかでずっと『痛い、痛い!』と叫び続けました。砂が柔らかいのかと思ったら硬かったり、硬いのかと思ったら柔らかかったり……砂に裏切られるたびに雄叫びを上げていました」

何時間も、そして何日間もその痛みに耐えながら、藤原選手は走り続けるのでした。

ここから彼は「完走」に目標を切り替えますが、レーサーとしての誇りが彼を苦しめました。

「完走者になるだけのために参戦するのであれば、ツーリングペースで走れば完走できます。でもやっぱレーサーとして生きてきた僕には、それは許されない。まわりからは『安全に帰ってこい』と言われますが、僕自身がどうしても納得できないんです」

「7日目(ステージ7)あたりは結構辛くて、朝のリエゾン(移動区間)の間、ずっと泣いていることが多かったんです。涙がずっと出てきて。何の涙かなと思ったら、悔しいんですよね。痛いからじゃなくて、悔しくて。普段の健全な自分であれば、まわりのライダーをもっとぶち抜いて早く走れるのに……。戦えない自分が、本当に悔しかったんです」

泥だらけのフィニッシュと、世界からの称賛

ゴールを翌日に控えたステージ12、石だらけの川を200kmも走る過酷な区間で、不思議な現象が起きました。

「本来なら一瞬で追い抜ける相手の後ろについたんですが、追い抜こうとアクセルを開け出した瞬間に、ブーツのなかにトゲのようなものが入り込み『痛い痛い』と思って緩めたら、その直後に石にボーンと当たってリアが跳ね上がりました。もしスピードが出ていたらヤバかった。

その後もゴーグルにゴミが入ったり、右膝に違和感が出たり。アクセルを開けようとするたびに、何かが止めるんです。『虫の知らせ』なのかなと思って。その日はキープ・ライディングで行こうと決めました」

最終日、海岸沿いのウィニングランで、藤原選手は最後のご褒美としてアクセルを全開にします。しかし、そこで泥沼に捕まってしまいます。

「猛スピードで進入したらバイクがドリフトして、痛めている腕では支えきれず、そのまま転倒しました。そこは泥のセクションで、顔もドロドロ。ヘルメットの顎部分に泥がシコタマ入ってきて、口を開けたら全部泥、みたいな状態です。『また俺だけドロドロかよ、何やってんだ俺は!』と思いながらバイクを起こしました」

泥だらけでゴールした彼を、ダカール公式は『THE SAMURAI』と称賛し、不屈の精神を世界に発信しました。

「ポディウム(表彰台)を降りた後、一人で海辺にバイクを止めた時、めちゃくちゃ涙が出てきました。約8,000km走ってきたんだな、いろんなことがあったな、とフラッシュバックして……」

「藤原を出迎える日本人がいない」とサウジアラビアの選手がゴールで迎えてくれたことが、いまSNSで世界中にバズを引き起こしています

日常に持ち帰る「冒険の心」

彼がこの過酷な旅路を通じて本当に伝えたかったのは、利便性の高い生活への回帰ではなく、自身の座右の銘に込めた「生きる姿勢」です。

「僕はいつも『我夢生れ』と書いて『頑張れ』と読ませる言葉を胸に抱いて生きています。これは中学校の修学旅行で、長崎の被爆者のおじいちゃんから聞いた言葉です。生きる希望を失い、自殺まで考えていたおじいちゃんが『夢を描いたこと』で再び生きる力を取り戻した。大きな夢を見て、そこに向かって突っ走っていく。今回の挑戦でも、この言葉があって良かったなと思います」

「それと『夢の大きさに人生は比例する』これは孫正義さんの言葉ですが、このダカールを通して本当にその通りだと痛感しています。大きな夢を描いて、そこに突き進んで諦めずに走り続けた結果が、自分の人生をまた大きくしてくれる。僕の挑戦を見てバイクを買っちゃいましたという人まで出てきてくれました。ダカールには、そんな世界観に引き込まれる魅力があるんです。満足の境地はありません。ここからまた次の成長が始まります」

ダカール・ラリー2026最終結果総合55位。

藤原選手の挑戦は、数字以上の熱狂を世界に残し、次なる「ロマン」へと続いていきます。

SMRP Racing | 藤原慎也 Road to ダカール・ラリー supported by 松尾製作所

https://smrp-racing.com/

藤原 慎也(Instagramアカウント)

https://www.instagram.com/shinya_fujiwara/

藤原 慎也(Xアカウント)

https://x.com/FujiwaraShinya1

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