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プロレーサーから指導者へ…波乱万丈のバイク人生 (伊集院忍さん)

2010年、MFJ主催の関東モトクロス選手権において、2つの異なるクラスで優勝し、見事シリーズチャンピオンを獲得した伊集院忍さん(以降、忍さん)。

幼少期から、モトクロスレースというオフロード競技を通してバイクと向き合ってきた忍さんに、波乱万丈な自身のバイクライフと、それを傍で見守り続けた父(兼さん)にお話しを伺いました。

※MFJ=一般財団法人 日本モーターサイクルスポーツ協会

 

バイクがあることが我が家の日常風景だった

バイクに乗り始めた頃からオフロード一筋だったという父の兼さんは、バイクショップで奥さんと出会い結婚。当時、自身の結婚式にショップの師匠から結婚祝いに子供用のバイクがプレゼントされたこともあり、忍さんが生まれる以前から、バイクが家にあることが宿命だったのではとのこと。

忍さんは小学校入学前から自転車を乗りこなしていたということもあり、忍さんが誕生してからも自然な流れでバイクへステップアップさせたと当時を振り返りながら語ってくれました。

ちなみに兼さんは、海外で開催されたラリーレイドで二度の優勝の経験を持ち、40年以上もオフロード中心にバイクに乗り続ける現役ライダーなのですが、インタビュー時はわが子を見守る父親目線であり、決して自分を多く語ることはありませんでした。

※ラリーレイド=砂漠や山岳地帯を何日もかけて走る過酷なレース。代表格は“ダカール・ラリー”で、アフリカの砂漠を含むコースを20日間かけて1万km以上走るレースで”パリダカ”として有名でしたが、その後、南アメリカや西アジアなどに開催場所が変更されています。

 

モトクロス場でのキャンプが一家団欒

母親もライダーだった五人家族が一緒に行くのは、主に忍さんが参加するモトクロスのレース会場や、練習コースでした。「宿泊施設ではなく車中泊だったんですよね」と、兼さんは話してくれました。

当時のことを忍さんはどう思っていたか尋ねると、「平日は学校、土日はバイクといったように、バイクに乗るということは、プールやそろばんなどの”習い事”と同じ感覚でとらえていました。小学校低学年からレースに参加していたのですが、ずっとビリでした。チェッカーフラッグを振る人がもう全員ゴールしただろうと引き上げようとするころにゴールするくらい。でも、同年代の女子が5、6人いて、バイク練習の時に友達と会えることをすごく楽しみにしていたのを覚えています。」と意外にも、父の厳しいバイク指導や、車中泊などには一切不満を述べることはありませんでした。何事も、楽しさを見出せると長く続けられると言いますが、彼女の場合は偶然出会えた同年代の友達が長続きのポイントだったのでしょう。

 

ライダー人生の岐路にはいつも影響を与えてくれる人がそばにいた

幼なじみが、中学三年生のときに全日本モトクロス選手権で走行しているのを見て面白そうだと思い、その誘いもあって一度忍さんも試しに出場してみたとのこと。その時の楽しさが忘れられず、大学生になる頃には、大きなマシンに乗って男子と一緒のクラスの関東選手権に出るようになりました。ちょうどその時、ヤマハ発動機がレーサー育成チームを発足し、ヤマハのマシンで参戦。ランキング1位だった忍さんは定員一名の女性ライダー枠としてチームに加入することができました。

初めて親以外の指導者(当時の監督)と出会い、乗り方や技術が飛躍的に向上し、レースでもメキメキと頭角を表しました。この頃から、レースでの優勝を目標に、本気で挑むようになったそうです。

忍さんは大学在学中、当時入っていた地元埼玉のチームを辞め、その後、ショップのサポートで一年間レース参戦の後、大学卒業後に監督のチーム(大阪)へ移籍したのですが、兼さんに一言も相談せずに決めたため激怒されたとのこと。

一方、兼さんは、娘の自立を少し寂しく感じつつも、忍さんが参戦するレースには必ず出向いてはコース脇で見守り、マシンのメンテナンスを自らが請け負い、それが終わると何も言わずに黙って帰ってたそうです。

そうした父親の姿を思い出して忍さんは、「今思い返すと本当に感謝しかない」と隣に座る兼さんとは目を合わせられずに語ってくれました。

 

ステップアップを決めた恩人のアドバイス

忍さんは大学を卒業してから大阪で2年間チームメンバーとして走り、表彰台に登ることもあり、その後もレースも続けるつもりでした。しかし、あるレースの前日、選手としてチームに迎え入れた監督から、忍さんに次のステップへの助言がありました。

「年齢のことを加味し、将来のことも考えた方がいい。何事もタイミングが大事。」

かなり悩んだ末に、忍さんはプロレーサーを辞めることにしたそうです。

人生最後のレースは、結果こそ出せなかったけれど最高に楽しかったと忍さんは思い起こしていました。

 

オフロードでは負けないけれど、公道はまだまだ勉強中

現在は、ヤマハ発動機で二輪免許新規取得者といったビギナーライダーや、久しぶりにバイクに乗り始めたライダーにライディングレッスンを全国で開催する部署で働いているという忍さん。

実家に帰れば、バイクを整備した兼さんが待っていて、すぐにでも一緒にツーリングへ行く準備ができているという、なんともうらやましい親子関係。

ただし、オフロードコースでの経験は豊富でも、一般公道ではまだ未熟だと謙遜する忍さんは、ツーリング経験も浅いそうで、先述のライディングレッスンを受講するライダーの気持ちが理解できるよう、オンロード用のバイクも購入して、休みの日にはふらっと忍さん一人でツーリングに行くことも多いとのことでした。

また、一般公道はレース場ではないので、「寒いときはどうやって防寒対策していますか?」や「どういう事に気をつけて走ったらよいのですか?」といった日常的なライダーの悩みにも、きちんと答えられるようにしたいと語ってくれました。

 

幼少期からオフロードを走る娘を見て、時には厳しい指導もしていた兼さんも、今ではたまに帰省する忍さんとのツーリングが楽しくて仕方ないようです。

会えば一緒にバイクに乗る二人は、冬の青空よりもすがすがしい笑顔でした。

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