森の魔力に魅せられた勇者たち「出光イーハトーブトライアル」の魅力とは?
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年に一度、岩手県の山奥に数百人というライダーが集うツーリングトライアルの大会があるのをご存じでしょうか。その名も「出光イーハトーブトライアル(以下、イーハトーブ)」。
イーハトーブは1977年から続く歴史あるトライアル大会であり、参加者や大会の規模としても日本最大級を誇ります。
トライアル大会ということで、さぞ華々しい舞台が用意されているのかと思いきや、このイーハトーブはむしろ人の目を避けるかのように山奥で行われる、知る人ぞ知る大会です。
コロナ禍により第44回と45回は実施されなかったものの、半世紀近くも毎年開催を重ね、今もなお多くのライダーや地元住民たちに親しまれるイーハトーブ。人々を惹きつけるこの大会の魅力とはいったい何なのでしょうか。
イーハトーブに参加するライダーの背中を追いながら、2日間の密着取材を試みました。
イーハトーブは幅広い年齢層と常連参加者の多さが特徴
参加クラスは、初心者を中心としたイーハトーブ・ネリトライアル(1日)と、ネリ経験者が含まれるイーハトーブ・ブドリトライアル(同1日)、そして中級者参加の多いイーハトーブ・ヒームカトライアル(2日)、さらに参加者の模範と期待されるイーハトーブ・クラシックトライアル(同2日)が主体となっています。今年から高校生を対象とした「フューチャーズトライアル」を新設されました。
そのほかにも5年前から新設されたクラスとして、トレールバイクでも参加できるイーハトーブ・トレイルトライアル、トライアル競技に参加できる技量のあるイーハトーブ・スポーツトライアルがあります。
なお、第47回の参加者数は、ネリが108名、ブドリ68名、ヒームカ99名、クラシック75名、トレイル30名、総勢380名となりました。
参加者のなかには参加回数20回、30回を超える常連の方もおり、第一回から現在までフル参加という猛者までいました。
また、参加者の年齢層は40〜50代を中心に下は20代から上は70代までと幅広く、過去には80代で参加された方もいるというのだから驚きです。ちなみに今回の最高齢参加者は78歳でした。
グループ走行が基本:互いに採点しあいトラブル時は助け合う
参加者が100名を超えるクラスもあるため、大会当日のスケジュールは非常にタイト。朝7時にクラシッククラスがスタートとなり、1分間隔で3~4人のグループでスタートします。
参加者同士で互いに採点しあう相互採点方式を基本としており、互いにフェアな視点であるからこそ成り立っているスポーツなのです。
なお、競技中に忘れてはいけないのが、各ポイントでのサインです。これを忘れると失格となってしまいます。
ルートは目印のみ…コースミスは許されない!
イーハトーブは、各セクション(勾配や障害物が複雑に設定された採点区間)を結ぶルートが設定されており、クラスごとに色分けされた三角形の目印を頼りに走行します。
たとえルートがアスファルト舗装された道であったとしても、誰も通らない山中であっても、しばらく目印を見かけないとルートが間違っているのではないかと非常に不安になります。しかし、そんな時も自分を信じて進んでいくしかないのです。
2日間を費やすクラシックとヒームカの参加者にとって、このセクション間の移動はイーハトーブの魅力でもあり、落とし穴でもあるのです。
林道を抜けると大自然の絶景が広がる
陽の光が差し込む林道は明暗のコントラストが強いため、路面の変化を見落とすこともあり、泥の水たまりや大きめの石が転がる場所などでは転倒する人も少なくありません。ただし、林道走行は比較的低速走行であるため、多くの場合は打撲程度で済むのが救いです。
長い林道を抜けると視界一杯に大自然の絶景が広がる場面も多く、集中力を要する林道を抜けた開放感と相まって強烈に感動する瞬間でもあります。
セクションでは参加者同士が採点
目印通りにルートを進むと各所にセクションがあります。
各セクションとも入り口と出口が設定されており、コース内には自然の地形を活用した勾配や障害物があります。そこをバイクで走行し、どれだけ足を着かずに走り抜けられるかという減点方式(ミスなし=0点)のシンプルなルール。エンジンストップや転倒、あるいはバックをしてしまうと、そのセクションは最多減点の5点が付いてしまいます。
一見なんの変哲もないようなセクションでも、いざ走ってみると意外なところでタイヤが滑ってしまったり、身体のバランスを崩すこともあります。予測不能な自然を相手に、身体全体を使ってバイクを操りながら走破するところが、トライアルの面白さであり魅力なのかもしれません。
そのため、各セクションに到着すると、ご覧のようにライダーたちが行列をなして、セクション内を歩く様子が見られます。
これは路面や障害物の状況を見て、滑りやすい路面なのか、あるいはどのようなラインで走るのかを確認しているのです。競技上のライバルであるはずのグループのライダーと相談する姿もあり、ある意味で、戦友との共同作業のように見受けられました。
地元住民の温かい声援も魅力
次のセクションへ向かう道中、ライダーたちに手を振って懸命に応援する地元住民の一人に呼び止められました。
ここ安家(あっか)川沿いは、5年前の台風19号によって川が氾濫し、今でも大木が川に残り、台風の爪痕が見られるこの地域は、大変な被害を受けた地域です。しかも、このあたりは過疎化も進んでおり、今年は夏祭りも行われなかったそうです。
そのような状況でも、この時期に多くの元気なライダーたちが駆け抜ける「バイクだけが楽しみだ」と話してくれました。
取材にきた記者であることを知ってか知らずか「以前、近隣の学校前で行われていたセクションも今はなくなってしまったし、山も機械もあるから、このあたりにセクションをぜひ作って欲しい」とまで言われてしまいました。
その後もちろん主催者に要望を伝えましたが、何はともあれ、住んでいる場所や型に捉われることなく、互いに助け合う、声を掛け合う、そんな姿勢でいることの大切さを実感しました。
三つの「い」:[いつか]が[一度]になり[一年一回]となる
2日間、奥中山高原から普代浜の海まで、セクションを含め往復で250km前後の道のり。
自然の恵みを受け、自然の偉大さを感じ、人の優しさに触れ、そして互いの協力を惜しまず、身体を酷使した分だけ達成感を感じます。
イーハトーブは多くの人を魅了し「いつかは参加してみたい」という憧れが、「いちどは出てみたい」という現実に変わり、そして「いちねんに一度は戻って来よう」という、ライフスタイルの節目になる、心身ともに強く記憶に残る大会でした。
さらには自分のライディングテクニックの上達、あるいは練習不足を感じつつ、心地よい身体疲労のなか仲間とセクションでのミスや成功を大自然で語らい、自分の全能力を使い切ったこの大会は、各々の人生の節目にもなっているように感じました。まるで、それまでの日々を見つめ直すきっかけを与えられているかのように。
このあたりが次の回を目指すモチベーションとなり、半世紀にも渡って支持されている所以なのでしょう。
最後に、今年4月にイーハトーブの創始者である万澤 安央氏が、お亡くなりになられました。心からご冥福をお祈り申し上げるとともに、万澤氏が1996年にイーハトーブの開催20周年を記念して発行した著書『イーハトーブの森を駆けて』の冒頭より一部抜粋して掲載させていただきます。
20年前に深い考えもなく岩手に行ったら、まさに自分たちが夢に描いていた素晴らしい自然と穏やかな人々という環境があったわけだし、関係する人々がすべてにわたって協力的だったからこそ、ここまでうまくやってこられたのだ。(中略)岩手県が四国4県に匹敵する大きな場所で、しかも宮沢賢治という稀有の表現者を輩出した霊性の高い土地だったことも、まさに最高の巡り合わせとしかいいようがない。(イーハトーブ創始者 万澤 安央氏)
※万澤 安央『イーハトーブの森を駆けて』イーハトーブトライアル実行委員会発行,1996年,冒頭より一部抜粋